About パオレッタ・マッローク先生
日本に滞在された時の思い出は?
私の日本滞在は、常に深く心温まる経験として記憶されています。初めて日本を訪れたのは2000年12月のことで、約2か月間滞在しました。この時は、新国立劇場でのオペラ《ドン・カルロ》でエリザベッタ役、そして東急ジルベスターコンサートではマーラー作曲《交響曲第2番「復活」》を歌う機会に恵まれました。さらに2001年2月には、藤原歌劇団の《マクベス》にも出演しました。
東急ジルベスターコンサートにおける日本の完璧なオーガナイズの素晴らしさは、特に印象に残っています。このコンサートは、新年のカウントダウンとしてテレビで生中継され、演奏を深夜0時前に終えるという、極めて厳密な時間管理が求められました。譜面には「23時55分32秒」などと、秒単位で時間が指定されており、最初は「そんなことが本当に可能なの?」と半信半疑でしたが、実際にはすべてがその通りに進行し、その精度と緻密さには本当に驚かされました。イタリアではありえないことです(笑)。
また、新年の鏡開きの儀式で酒樽を割るという名誉ある役目もいただきました。この儀式は非常に重要なもので、「きれいに割れないと縁起が悪い」と言われたので緊張しましたが、何とか成功させることができ、周囲の男性たちから大きな称賛をいただきました。
2001年2月に出演した藤原歌劇団による《マクベス》は、私のキャリアの中でも非常に重要な作品の一つです。特に、日本の合唱団やパントマイムの方々の演技は素晴らしく、忘れられない舞台となりました。その後もたびたび日本を訪れていますが、特に2003年、スカラ座との《マクベス》公演で感じた日本の観客の反応は、今でも強く印象に残っています。日本のお客様はとても熱心で温かく、同時に音楽と音楽家に対する深い敬意を感じ取ることができました。
一つ不思議に思ったのは、当時の日本が最先端の技術を持っているにもかかわらず、通りに番地の表示がなく、タクシーの運転手でさえも道に迷うことがあるという点でした。歩いてみてわかったのですが、日本の住所は分かりづらかったです。ですが、これも含めてイタリアとの違いを楽しむことができました。日本での滞在は、私にとって「美しく、非常に強い影響を与えてくれた経験」であり、また「とても快適に過ごすことができた場所」として、今でも深い郷愁を感じています。
今回、マスタークラスという形で再び日本を訪れることができるのを、心から楽しみにしています。

歌を学ぶ過程で影響を受けた人はいますか?
私はいつも「完全な独学なんて存在しない」と思っています。人は生きていくなかで、誰かの影響を受けながら成長していくものです。意識していなくても、自然と惹かれる人から学びを得ている。それが私の実感です。
はじめての発声の先生との出会い
初めて本格的に発声を学んだのは17歳のとき。半年間にわたって基礎を教えてくれた先生は、マヌエル・ガルシアのメソッドを用いた、非常に理にかなったアプローチをされていました。無理のない、健康的な発声を大切にするスタイルで、今でもその基礎は私の中に生きています。私は「発声の基盤」と「音楽スタイルに応じた表現技術」は分けて考えるべきだと思っています。この考え方は、のちに教える立場になったとき、私にとって大きな指針になりました。
音楽院での出会い
音楽院ではルチア・カッペリーノ先生に師事しました。彼女はリリコ・レッジェーロの声を持つ方で、私に「あなたはメゾじゃない。ソプラノ・ドラマティコよ」といった時には、最初の先生とは正反対の判断だったので、正直、最初の2か月は戸惑って心を開くことが出来ませんでした。でも、「自分で選んだ先生なら、まずは信じてみよう」と気持ちを切り替えて、向き合ってみたんです。すると、彼女の見立てが正しかったことが次第にわかってきました。
音楽院では、19歳にして『アイーダ』や『カヴァレリア・ルスティカーナ』、『アフリカの女』など、のちに実際の舞台で歌うことになる役にすでに出会っていました。当時の先生方はとても大胆で、若さを理由にレパートリーを制限するようなことはありませんでした。その自由な教育環境が、今の私の考え方にも大きく影響していると思います。
人生を変えたレナータ・スコット
私にとって忘れられない存在は、世界的なソプラノ、レナータ・スコットです。唯一受講したマスタークラスに参加したとき、初日のレッスンで「舞台経験はあるの?」と聞かれ、「まだありません」と答えたら、「それはおかしいわ。あなたはすぐにでも舞台に立つべき」と言われたんです。その時にレナータ・スコットの最初のエージェントを紹介していただき、6か月後には初舞台を踏みました。あの出会いがなかったら、今の私はいなかったと思います。
導かれるようにして歩んだ歌の道
私が通うことになった音楽院の校長先生も、私の声に可能性を感じてくださり、入学を勧めてくださいました。当時の私はまだ舞台美術のほうに関心があり、まさか歌が本業になるとは思っていませんでした。今では、「私が歌を選んだのではなく、歌が私を選んでくれたのだ」と感じています。こうして歌手の道を歩んでこられたことに、心から感謝しています。
印象に残っている指揮者とのエピソードは?
多くの指揮者との思い出はたくさんありますが、なかでも特別な思い出となっているのが、2001年、ミラノ・スカラ座での《マクベス》公演でのリッカルド・ムーティとの共演です。
ムーティは非常に威厳があり、近寄りがたい印象もありましたが、その一方でチャーミングでユーモアのある一面も持っている人でした。稽古初日、有名な「黄色の間(Sala Gialla)」で彼は静かにこう言いました。
「私は誰にも合わせない。私が指揮をする。君たちは私に合わせるんだ。」
その言葉には強い信念と覚悟が感じられ、周囲には一瞬にして緊張感が広がりました。
そして迎えた本番当日。私が楽屋でメイクをしていると、ふいにムーティが現れて、微笑みながらこう言ったのです。

「パオレッタ、当然だけど、君が先に歌い出したら、私は君についていかなければならない。だから、頼むよ。しっかりね。」
その一言には、彼の優しさと信頼、そして柔軟な音楽家としての本質が表れているように感じました。舞台は生き物であり、どんなに稽古を重ねても予期せぬことが起こるもの。だからこそ、お互いの信頼と支え合う力が必要なのです。
ムーティは「私は舞台の人間だ」と語っていましたが、その言葉の通り、彼は常に舞台の真ん中に立ち、状況を読み、最善の音楽を導き出す稀有な存在でした。私は以前にも《ポッペアの戴冠》でスカラ座に出演していましたが、《マクベス》は特別な意味を持つ舞台となりました。ムーティとの出会いは、私にとって今も温かく、鮮やかな記憶として残り続けています。
オペラ歌手にとって、アスリートのようなトレーニングは必要ですか?
オペラ歌手にとってまず必要なのは、健康な身体と安定した思考です。身体のトレーニングも大切ですが、それ以上に重要なのは、考えを整理し、冷静さを保つメンタルの訓練です。思考が混乱すれば、いかに身体が整っていてもパフォーマンスは崩れてしまいます。
舞台上では、冷静な頭脳と感情を表現する身体を同時に使いこなす力、いわば「導かれた本能」のようなバランス感覚が求められます。身体の柔軟性やコントロール力は、近年の複雑な演出にも対応するため、ますます重要になっています。
日常の身体ケアと習慣
歌手として、次のような日常習慣は基本です:
- アルコールや辛い食べ物など、喉に負担をかけるものは避ける
- こまめな水分補給を心がける
- 軽いストレッチや準備運動を日常に取り入れる
- 声だけでなく身体全体のウォームアップを行う
私の最初の師は「声を甘やかすな」と教えてくれました。スカーフで喉を守るよりも、風邪に負けない身体を作ることが大切。つまり、神経質になるほど自分を守る考え方から脱却することを教えられました。
舞台人としての身体と知性
舞台に立つ身体は単なる器ではなく、「道具」であり「楽器」。だからこそ、リズム感や身体と頭の連携(協調性)がとても重要です。基本的なダンスや所作の経験がある人は、舞台上での表現が豊かになります。
また、「無意識の動き」は観客に不自然さとして伝わってしまうため、身体を意識的に制御する力が必要です。演技や朗読、演劇的なトレーニングは、歌唱と一体になった表現の完成度を高めるために非常に有効です。
プロとしての意識と姿勢
舞台では、ただ「立つ」ことすら技術が必要です。それ以上に求められるのは、自分の身体をどう見せ、どこまでさらけ出せるかという“意識と覚悟”。オペラでは、自分とはまったく違うキャラクターに身体を貸すという柔軟な思考の切り替えも重要です。そのためには、日常から自分の身体を意識し、客観視する習慣を持つことが不可欠です。
オペラは、声・身体・思考のすべてをさらけ出す表現芸術です。だからこそ、自分を客観的に見つめる目を養う必要があります。私は生徒たちに、レッスンを録音するだけでなく、自分の姿を動画で確認するよう勧めています。多くの生徒が最初は「自分の姿を見たくない」と言いますが、自分を好きになれなければ、人前で表現する資格はありません。「お金を払って観ていただくに値する存在か?」という問いは、プロとして常に持つべき視点です。
身体には長年の癖や習慣が染みついています。それを整えることも、プロになるための大切な訓練の一部なのです。

「ベルカント」とは? それは単なる歌唱技術なのか、それ以上のものか?
個人的な考えをお伝えすると、「ベルカント」はしばしば「美しい歌」と同義に語られがちですが、実際には特定の時代に発展した歌唱様式であり、単なる歌の美しさを指すものではありません。バロックや古典派を経て、19世紀初頭に登場したベルカントは、音楽の表現と技術において大きな転換期を担いました。
技術的な特徴とその背景
ベルカント様式の主な技術的特徴は以下の通りです:
- 滑らかなレガートの重視
- 自然なヴィブラートの継続的な使用
- ルバートやリタルダンドを用いた柔軟なテンポ表現
- 伴奏の簡略化による歌唱の自由度向上
- 音域の拡張と声の力強さの強調(特にテノールとソプラノ)
これらの特徴は、貴族から市民社会への移行という時代背景と密接に結びついています。感情的で現実的な物語を扱うようになったオペラは、より多くの人々の共感を呼ぶようになりました。
演奏スタイル
ベルカントは、たとえばドニゼッティやベッリーニといった作曲家に顕著に表れますが、時代が進むとよりドラマ性の高い方向へ変化します。フランスにも影響を与え、感情の「美しさ」よりも「リアルさ」を前面に出す作曲家も登場しました。ただし、音楽のスタイルを誤って用いると違和感が生まれます。たとえば、バロックをベルカント風に歌う、あるいはヴェリズモをロマン派風に演奏するなど、本来の音楽の精神から外れると、表現の本質が損なわれてしまいます。
私は幅広い時代の作品に取り組んできました。バロックから現代音楽まで、さまざまなスタイルに触れたことは、表現の引き出しを豊かにしてくれました。特に重要なのは、耳から学ぶ模倣です。たとえば、私はトリルをマリア・カラスの録音から学びました。録音を繰り返し聴き、繊細な装飾やニュアンスを体得することで、様式も正しく理解できるようになります。これは様々なタイプの生徒を教える指導者にとっても不可欠な感覚だと考えています。
音楽様式を深く理解するためには、当時の文献や理論書との対話も重要です。たとえば、レオポルト・モーツァルトのヴァイオリン奏法の教本は、彼の息子の教育と演奏スタイルに直結しています。演奏家はただ音を出すのではなく、歴史・意図・技法の背景を読み解き、それを表現に反映させる力が求められます。
ベルカントとは、単なる技巧ではなく、時代精神や芸術観の集約であり、音楽家にはその“様式”を理解し、適切に扱う知性と感性が求められるのです。
生まれつき「声の良い」人は、本当に有利なのか?
確かに、生まれつき声が良い人はいます。実際、私自身も初めてのレッスンで「君の声は自然にできている」と言われた経験があります。でもそのときは、なぜそう言われたのか、よく理解していませんでした。これは、幼い頃から音楽をよく聴き、まねる習慣があった人に見られる現象で、耳と模倣力によって自然と声のバランスが整っているのです。しかし、それはあくまで「感覚に頼っている状態」であり、技術として体系化されているわけではありません。
「生まれつきの声の良さ」の危うさ
自然と歌えている人には、「なぜその音が出るのか」「どうしてうまくいくのか」を理解していないことが多く、バランスが崩れたときに修正できない危険があります。突然声が出なくなったり、不調の原因がわからずに迷ってしまう――それが最も怖いことなのです。
だからこそ、どんなに才能がある人でも、理論的な理解と日々の確認・調整が不可欠です。
声は「農作物」のように育てるもの
私はよく「声は農夫のように育てるべき」と話します。毎日少しずつ手をかけて、水をやり、整えていく。小さな不調や癖を放っておけば、やがて取り返しのつかない問題になります。また、声は年齢とともに変化するのが自然です。若い頃にできたことが年齢とともに難しくなることもあれば、年齢に応じて深みや表現力が増すこともあります。大切なのは、その変化を受け入れ、今の声に合った技術とレパートリーを見つけていく姿勢です。
芸術家は常に「何かを語る存在」であるべきです。たとえ高音が出にくくなったとしても、人生の深みや言葉の重みを持って表現することができます。それが芸術の本質だと思います。声の変化は避けられませんが、だからこそ「自然に任せる」のではなく、「自然を見守り、手をかけていくこと」が大切です。プロ歌手とは、与えられた声をただ使うのではなく、育て、理解し、変化と共に生きることのできる人なのです。
プロの歌手からよくアドバイスをもとめられるようですが、彼らに共通する問題点は?
名前は挙げられませんが、すでにキャリアのあるオペラ歌手からレッスンやアドバイスを求められることはよくあります。そうした中で最も多く見られるのが、「自分の声の本質を理解しないまま歌ってきた」というケースです。かつては自然にできていたことが、ある時からうまくいかなくなる。そして、「なぜできなくなったのか」以前に、「なぜできていたのか」がわかっていないのです。
声は身体の一部であり、年齢や体調によって変化します。その変化に気づけず、あるいは対処法がわからないまま不安を抱え、「歌うこと自体が怖くなる」ことも少なくありません。ただし、大きなダメージがない限り、身体の使い方を見直すことで声は回復可能です。よくある症状は、音の方向性の喪失、響きの弱まり、音程の不安定さなどです。
どのように指導しますか?
解決のカギは、シンプルで的確な基礎練習です。
華やかな技術に偏るのではなく、2~3音の短いスケール練習などを通して、
息の支え・音の方向性・音色の均一性といった基本を繰り返し確認し、再度鍛えることが重要です。
無意識の成功は、最大の落とし穴
多くの人が過去に「うまくいっていたときの理由」を理解していません。つまり、“無意識の成功”に頼っていたのです。これは非常に危うい状態です。なぜなら、問題が起きたときに自分で修正できないからです。だからこそ、日々の中で自分の声がどう機能しているかを意識し、理解することが、プロとしての持続力を支えるカギになります。

先ほどは名前を伏せましたが、最近イタリア、ヨーロッパ歌劇場で若手歌手としてかなり注目を浴びているリディア・フリードマンはあなたと勉強していると公言しています。
リディアとの関係は、一般的な生徒とのそれとは異なり、まるで運命に導かれるように始まりました。通常、私は生徒の自立を促すため、ある程度の距離を保つことを信条としています。しかし、リディアは私の音楽院のレッスンを熱心に聴講しに来ており、その強い意欲は別格でした。
当初、私は公平性を保つため彼女を指導できませんでした。しかし、休憩中に「声を聴いてほしい」と頼まれ、その熱意に応える形で短いアドバイスをしました。驚くべきことに、リディアは私のわずかな指摘を完璧に吸収し、次回には必ず目に見える成果を持って現れたのです。これを数回繰り返すうち、休憩中の短い時間でのアドバイスが続き、最終的に彼女は私の正式な生徒となりました。
圧倒的な素質と努力
リディアは稀に見る音楽家であり、ピアノにも精通し、驚異的な音域と均質な声質を持っていました。私は彼女の声を聴いた瞬間に「この人は違う」と確信し、彼女のためにレパートリーを一新。表現力、レガート、声量、レジスターのつながりなど、あらゆる面を徹底的に鍛えていきました。
ある程度キャリアを積むと、指導は「好き嫌い」ではなく「細部の分析」に移行します。たとえば、1ページのレチタティーヴォに1時間半をかけることもあります。主役を担う歌手は、舞台上のすべての瞬間を注視されるため、一音、一語、1つの母音の響きまで徹底的に磨き上げる必要があるのです。
指導者としての覚悟、彼女の信念
私は非常に厳しい教師で、「万人向けではない」と自覚しています。一度指導を引き受けたら、妥協せず全力で導きます。リディアに対しても、最初は指導を断っていましたが、彼女の中にある可能性を見てしまった以上、それを無視するのは誠実でないと考えました。
リディアは、自分の中にある大きな可能性を受け入れるのに時間がかかりました。周囲からの否定的な意見にもさらされながら、自分の信じた道を選び、それを貫いた。それは簡単なことではありませんが、彼女は真摯に向き合い、乗り越えてきました。
私たちの関係は、一緒に写真を撮ったり、SNSで公にしたりはしませんが、非常に深いもので、今でも彼女の準備や役作りには関わり続けています。私は厳しく、リディアも「しんどい」と思ったこともあるかもしれません。それでも、彼女はその厳しさを受け入れ、成長し、世界の舞台に立っているのです。
若い声楽学生が避けるべき3つの過ち
1. 自分の「声の本質」を否定すること
もっとも大きな過ちは、自分の声の本来の性質(=声の個性)を理解せず、それを押し殺してしまうことです。それは私達の本質を否定するようなもので、それは決して良い結果をもたらしません。
声は、それぞれがすでに完成された“楽器”であり、「最良の声」とは、他人と比べて優れているものではなく、自分にとって自然で最も機能的な声なのです。
それを知り、育てることこそが歌手の第一歩です。
2. 自分の声に合わないレパートリーを選ぶこと
オペラ歌手にとって、自分の声に合わないレパートリーを無理に歌おうとするのは、よくある過ちです。合った曲を歌えば、声は自然に反応しますが、うまくいかないと感じる曲は、身体的・精神的に合っていない可能性があります。
たとえば、手の小さいピアニストがリストばかり弾こうとするようなもの。歌手も、自身の声のタイプと特性を正しく理解し、理想だけでなく「今の自分に何ができるか」を見極めて選曲する姿勢が重要です。
業界では、「声に合った明確なレパートリーを持つ歌手」が評価される傾向があり、レパートリーが広すぎると、かえって方向性に欠けると見なされることもあります。ただし、例外もあります。たとえばリディア・フリードマンのように、バロックからベルカント、シュトラウス、現代音楽まで幅広くこなす歌手もいます。彼女は6年かけて市場と向き合い、自らの声の幅を証明しながら受け入れられていったのです。
3. 先生に「依存」しすぎること
指導者に対して敬意を持つのは当然ですが、“絶対的に従う”という姿勢は危険です。
「この先生についていれば間違いない」という盲信ではなく、
「本当に自分が変化・成長しているか」を客観的に判断できる力が必要です。
私は生徒にいつもこう言っています:
「まず8回、2ヶ月だけ通ってみて。それで明確に“進歩している”と感じなければ、他を探していい。」なぜなら、声の変化や技術の向上は、少しの時間でも正しくアプローチすれば必ず現れるものだからです。また、先生の言葉に「正解」を探そうとせず、自分の考えを言葉にする訓練も大切です。
自分で選び、自分で考え、自分の責任で進む——これがプロになるための姿勢です。
教えるうえで、最も大切にしていることは?
私が教師として最も大切にしているのは、誠実さ・敬意・愛情の3つです。たとえ生徒の性格が自分と合わなくても、私はその人を尊重し、愛を持って導く責任があると考えています。
教師の役割は、生徒が目指す場所へ到達できるよう、真摯に支えることです。
教育の最終目標は「自立」
私の教育のゴールは、生徒ができるだけ早く自立し、私の手を離れること。
自分自身をよく知り、必要なことを吸収して、自由に羽ばたいていく――それが本当の成長だと信じています。中には、心のバランスを崩していたり、自己肯定感が低くなっていたりする状態でレッスンに来る生徒もいます。そうした場合、まず必要なのは「声の矯正」ではなく、その人自身の“回復”です。
声は、人間の中でも特に内面的なものが表れる領域です。だからこそ、私は生徒の声だけでなく、その人の人間性全体と向き合うようにしています。
声を整えることは、その人自身を整えることにつながります。そして教育の本質とは、
「その人がその人らしく、自分を尊重しながら生きていけるようにすること」。
私はそれを、声という手段を通して実現したいと思っています。
2026年3月のマスタークラス受講を検討している方へのメッセージ

Se volete essere sorpresi, e magari anche un po’ sconvolti, questa è la nostra masterclass giusta
常識を覆されたい、少し心を揺さぶられるような体験をしてみたいのであれば、私達のこのマスタークラスがぴったりです!