ピエトロ・デ・マリアインタビュー記事

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◆Unione Musicaleより(2020年)
今年はベートーヴェン生誕250年で、イタリアで2月5日~5月8日にかけてベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏を行うピエトロ・デ・マリア。
ー年齢と共にベートーヴェンとの関わり方に変化がありましたか?
ありましたね。テクニック的な事だけでなく。常に変化し続けるのが私達で、色々な経験を通して今日の私があるわけですから、曲の見方、感じ方はもちろん変わりますよね。
ーベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏はピアニストにとって非常に大きな挑戦だと思います。その準備はショパンピアノ独奏曲全曲演奏の時よりも大変でしたか?
ショパンにしろ、ベートーヴェンにしろ、先入観や慣習に惑わされることなく、新しい曲に向かうように楽譜を読みこんで行くことを大切にしています。このような意味で、演奏者を半宝石の修復師に例えるのが個人的には好きですね。ミラン・クンデラの『裏切られた遺言』をお勧めしますよ。興味深い演奏者と翻訳者の対比が書かれています。
ーベートーヴェンソナタの中で再評価されるべき曲はありますか?
あまり演奏されない、第一楽章がシューベルト風なop78でしょうか。
ーベートーベン作品で、特に勉強したい曲、コンサートで弾きたい曲はどの作品ですか?
正直ありすぎて困っていますが(笑) ディアベッリ変奏曲、創作主題による6つの変奏曲、エロイカ変奏曲ですね。
ーベートーヴェンソナタを勉強しようとしている方へのメッセージは?
ピアノソロ曲にとどまることなく、三重奏、交響曲、四重奏などあらゆる形式の作品を聴くことです。そして、出来る限りベートーヴェンに関する本を読み情報を集めることですね。

◆イタリア音楽雑誌アマデウスより
ーどのピアニストも審査員になる前には審査される側でした
私も幼い年齢からコンクールに参加していましたが、コンクールのみに焦点を合わせるほど大げさではありませんでした。同年代の学生達がコンクール回り、同じコンクールに参加し続ける、実際年齢より上のカテゴリーにエントリーして参加していたのを覚えています。しかし、20歳前後でそのほとんどの人が消えてしまったのも事実です。私は数は少ないですが良いコンクールに参加してきました。11歳でルッカ市のリストコンクール、フィレンツェのクレメンティコンクール、ミラノのコルトーコンクールなどに参加し、優勝する!など思いは全くなく、各コンクールの後にコンサートが出来ることが嬉しかったのを覚えています。

89年ルービンシュタイン国際ピアノコンクールを始め、チャイコフスキー国際コンクール、ディーノ・チアーニ国際ピアノコンクールと、実は私が3年間師事したマリア・ティーポから 大きなコンクールに参加するように背中を押されたのですよ。これを切っ掛けに一時少々大げさな注目を浴びましたが、色々な経験が始まりました。自分自身では実はショパンコンクールを乗り越えられるタイプではないと自覚してはいました。
(訳者より・ピエトロ・デ・マリアはニキタ・マガロフからショパン国際コンクール参加のための推薦状をもらっていた)。当時の私はまだかなりの勉強と、十分なレパートリーを持つ必要性がありましたから。ですが、1994年にゲザ・アンダ国際ピアノコンクールで優勝してから、ドイツへの扉があきましたね。

―マリア・ティーポとのレッスンで印象に残っていることは?
音への配慮そしてレガートです。心広く熱心に指導される方で、彼女との密接な勉強の期間の後でも本当に私を支えてくれました。今でも、初めてコンサートで弾く曲で何か不安があるときには彼女に電話をして、曲について演奏について話をしますし、演奏を聞いてもらいます。マリア・ティーポは本当に視野が広いピアニストで指導者なのです。彼女自身の考えを押し付けることは全くないのですが、ただ一度だけ、クレメンティのソナタを演奏したときは
『遅すぎる。私のように弾いてはだめよ。私がこの曲を録音した時は60歳よ。ピエトロ、あなたはまだ若いのだから!』
とは言われました(笑)

◆l’eco di Bergamo 2015より
特にここ10年ほど、ピアニストの演奏は表現派か技巧派に分かれてきているようですが、あなたは2つの分野を持ち合わせているピアニストだと私は思います
「機械的なテクニックには興味を持ったことがありません。私にとってヴィルトゥオーゾとは、音楽に忠実に仕えながら、自分の思うように演奏ができるピアニストです。曲と向かいあう時に私の中で沸き起こる感情を観客へ伝えることを考えています。」

-4つのコンクールで優勝そして批評家賞受賞されました。1990年に5つ目の大きなコンクール(ワルシャワショパンコーンクール)には参加されなかったですね
ニキタ・マガロフから推薦状をもらってはいたのですが、ディーノ・チアーニ国際ピアノコンクールで優勝した後にすぐ他のコンクールに参加することは非常に冒険的でリスクがありました。

ピエトロ・デ・マリアピアノマスタークラス概要

マガロフはショパンを得意としていましたね。
彼からレガートについてアドバイスをもらいました。生まれながらの才能を持つマガロフの演奏は今でも深く心に残っています。時々 彼がピアノの前に座っている姿が見えるような気がするときがあるくらいです。非常に心が広く、もの惜しみなく教えるピアニストでした。
私がジュネーブで師事してたマリア・ティーポも彼から指導を受け、お互いに近所に住んでいたので、色々な話をする機会が持てたことは貴重でした。

◆雑誌Epresso より
最近は、昔のようにはっきりとした「流派」(ロシア・ピアニズム、ヴィターレ流派(イタリア)等)の存在はなくなってきました。だからと言って、音を聞いただけで、この音は誰々だとわかるピアニストがいないわけではありません。1950年前後から演奏者の音楽の見方は、その前の世代の演奏者に比べると論理的になってきましたし、80年代、90年代のピアニスト達のテクニックレベルには目を見張るものがありました。
今のコンクールの審査員は、テクニックレベルよりもアーティストとして、表現者としての何かを参加者から感じたい、見つけようという傾向にあるように思います。

私は指導者として、楽譜に書いていることもですが、それ以上の事が見える、考えられるように指導しています。残念でありそして幸運なことなのですが、指導者は全ての事を教えられるわけではありません。各個人それぞれがより多くの経験をするためには、Anima( 魂、心)とMente(知識、教養、頭、精神)を開いておくことがとても大切なのです。弾く曲の作曲家の人生を深く知る必要があり、本を読み、展覧会へ行き、他の芸術の分野に触れる。
これだけは確信しているのですが、演奏=私たちの人間性、何を感じどう生きているか、なのです。

◆2009年雑誌Musicaより
ーピアニストのコンサートへ足を運ぶ機会はありますか?
指導、コンサート、家族の時間の合間では、残念ながらなかなか他のピアニストのコンサートへ行く機会がありません。ですが、コンクールの審査員によく呼ばれるので、参加生の演奏から多くの事を学ばせてもらっています。コンクールの審査中に必ず各演奏者についてメモを取るようにしているのは、審査を通過しなかった演奏者へその理由を説明するためだけではなく、私の今後の勉強、演奏のためでもあります。ここ最近の傾向でコンクールへ参加する若い学生、ピアニストの態度が以前と変わってきたのが少し気になります。予選や本選などで自分が思う結果が得られなかった演奏者の、審査員の贔屓、または事前の申し合わせがあるのではないかという考えからクレームが多くなってきています。失敗をするのが私たち人間なのですが、このような態度では音楽家としての成長を妨げてしまいます。もちろん非常につらいことではあります。ですが、どの分野でも、失敗や難局、スランプから何かを活かそう、そこから少しでも成長したいと思える人が残っていくのだと思います。自分はもう成功した、他の人が自分の良さにに気づかないだけだと思っていては、どこにも行きようがないかもしれませんね。私もよく「ピアニストとして大成功したではないですか!」と言われることがあります。とんでもない!コンサートの前にどれだけナーバスになっているか・・ポリーニも言っています。どんなコンサートでも、毎回暗闇に飛び込むようなものだと。

◆ショパンピアノソロ曲全集について2014年11月のインタビュー記事(グラツィア・リッシ)より抜粋
ー初めてショパンを聞いた時の感想は?
幼い時に初めて聞いた時、すぐにでもピアノでその曲を弾きたい思いに駆られたのを覚えています。
イタリアの音楽院では、もちろんそれは正しいことなのですが、まずはたくさんのバッハを勉強した後、11歳の時に当時の先生からマズルカ集から1曲を与えられました。
その時には少しがっかりしましたよ。なぜなら、バラードやスケルツォ、ポロネーズなどを通して知っていたショパンと違っていたからです。
マズルカの世界を理解する、掴むことは当時11歳の私にはとても難しいことでした。なぜならポーランドの踊りなど全く知らなかったわけですから。
ショパンのピアノソロ全曲をコンサートで弾く(注訳者イタリア人で最初に行ったのがピエトロ・デ・マリア)と決めた時も、やはりマズルカを弾くことにとても不安を感じていました。マズルカでショパンはポーランドの舞踊オベレク、クヤヴィヤックのリズムを使用し、いくつかのマズルカにはワルツの要素を取り入れています。各ダンスそれぞれの動き、アクセントがとても大事になってきます。

 ーショパンの音楽の見方は当時と変わってきましたか?
若い時はショパンの持つベルカント的、詩的、ロマン主義的な要素を愛していました。ですが、少しづつより掘り下げて勉強していくほど、豊かな音楽性、無限の心情、コントラストに魅了されています。ワグナーを予知させるような斬新は和声の使い方も最後のマズルカop.50 n.3, op.56 n.3で見ることができます。メロディー各音が共鳴するように書かれた伴奏部分など、ショパン以前にこれほどピアノを理解してピアノの響かせた作曲家はいなかったでしょう

ーここ10年、大げさなロマン的演奏に決してならないようにショパンを演奏しているようですが。
どの作曲家に対してもですが、冷めたような、そして非常に感傷的な解釈は避けています。手にそんな負担をかけても意味がないですしね。
録音スタジオで弾く時は、観客のいるホールで弾くようにはいきません。ホールでの演奏は少々自由になってしまうものです。コンサートは1回の演奏ですが、cdの場合は何回も聞くことができます。それを考えると、大げさな演奏は不快感を与えてしまうかもしれません。

ー録音スタジオでは暗譜で弾きますか、それとも楽譜を見ながらでしょうか?
場合によります。暗譜での演奏はリストから始まった慣習です。
特にピアニストは暗譜での演奏を行いますね。暗譜か、楽譜を見ながらか、大事なことは自由を感じることが出来るかどうかだと思います。
しかし、音楽の中に自由でいる、自由を感じるには非常に大きな勇気が必要です

ールービンシュタイン、アシュケナージ、マガロフのCDの後に、録音するにあたって時間も勉強もかなり必要だったと思いますが。
幸運なことにルービンシュタインは全曲ではなく、重要な曲のみの録音でした。数多くの素晴らしいピアニストの録音の後ですから、ひとかけらの無自覚さは必要です(笑)。
最初はマガロフが行ったように、ショパンピアノソロ全曲を作品順に6回のコンサートで演奏していくことのみを考えていました。このことは結果、録音をする前に各曲を熟慮することが出来たので非常に助かりました。ですが、今当時の録音を聞いても、数曲は自分の演奏だと認識できない曲もあります。瞬間を撮る写真のようなもので、常に発展していくのが私たち音楽家です。

ー22歳でチャイコフスキー国際コンクールで批評家賞を受賞、その後、ゲザ・アンダ国際ピアノコンクール優勝されています。その当時から何が今日まで残っていますか?
自分ではよくわかりません。ただし音楽は若さは保ってくれますね。私の末息子に父親が何の職業についているか尋ねた時の彼の答えは『勉強する人』だったそうです。
勉強、これが当時からそして今の私の職業ですね。

ー師事していたマリア・ティーポ、彼女の録音は聴かれますか
彼女のアドバイス、彼女が演奏を聞いてくれるということがとても重要でした。非常に尊敬しているピアニストで、幅広い視野を持った教師です。それは彼女と勉強した数多くのピアニストそれぞれが持つパーソナリティを表現しているとこからもわかります。


画像をクリックするとcd視聴ができます。

ピエトロ・デ・マリアピアノマスタークラス概要

(2015年11月発売雑誌Amadeusから抜粋)
ーJ.S バッハの曲を録音に選んだ理由は?
ショパン独奏全作品の後、ロマン派に浸りきった私の魂を浄化する必要もあり、とても自然な流れで選びました。
ご存じのようにショパンはJ.S.バッハの音楽をとても愛していましたし、彼の音楽を勉強し、コンサートで弾いていましたしね。

ー平均律グラヴィ―ア曲集を録音するにあたり特に気を付けたことはありますか?
バッハの音楽にはその後の作曲の歴史がすべて入っているように思います。平均律グラヴィ―ア曲集第1巻の最後のフーガには、シェーンベルグが指摘しているように12音技法があり、バッハの音楽にはジャズの要素も見られます。もちろん、息子のカール・フィリッポ・エマヌエルが書いた教則本を始め、同時代の理論家や作曲家達が書いた装飾音や演奏法についての音楽学的勉強はしました。曲集名に”鍵盤楽器”とあるように、何か一つの楽器のためだけに書いたわけではないという解釈で、自由なアプローチで取り組んでいきました。自由とは言えもちろん制限はあります。特にロマンティシズムの焦燥感のような表現はここでは理解しがたいですしね。フーガにおいて対位法を際立たたせるために、ペダルの使用には最大の注意をはらいました

ーバッハにおいて、どなたの録音がお好きですか?
フィッシャーの演奏でしょうか?

ー特に影響を受けたピアニストは?
とても現代的で、自由でそしてバランスが良く、自然な音楽を奏でるアルトゥール・ルービンシュタイン。音に関して私の中の基準はミケランジェリです。
彼が絶頂の時のコンサートを聴くことが出来たのは本当に幸運だったと思います。このコンサートの前までは、ピアノから一体どれほどの音を引き出すことが出来るかわかっていなかったですから。そして、私の恩師マリア・ティーポ。彼女の知識、あらゆることへの興味、心の広さ、自由さ、それがベースにある彼女のレッスンは、いつも魔法をかけられたような時間でした。ホロヴィッツも挙げておきます。そしてフリードマン、彼の演奏したショパンのマズルカは私に啓示を与えてくれました。

マリア・ティーポに師事したピエトロ・デ・マリアは、指導者が生徒に与える影響の大きさを感じ、ピアノテクニックの指導も大切ですが、各生徒それぞれの個性が引き出せるような教授法で接しています。
コンサートで聴いてくださる方から得るエネルギーに感謝を感じているピエトロ先生は、コンサートが終わった後、観客へのお礼(写真やサイン、会話)も出来るだけ対応したいそうです。5歳の時に音楽家になりたい!と願っていた通り、ピアノを演奏すること、指導に幸せを感じるピエトロ先生のピアノマスタークラスを是非ご検討ください

ピエトロ・デ・マリアピアノマスタークラス概要
https://wp.me/P94k6J-LB

ピエトロ・デ・マリアインタビュー記事
https://wp.me/P94k6J-WU

ピエトロ・デ・マリア履歴
https://wp.me/P94k6J-LI

 

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