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アントニオ・メネセスの思い出

素晴らしい音楽家であり、後進の育成にも熱心だったアントニオ・メネセス氏のご冥福を心よりお祈りします。

私が初めて彼の名前を聞いたのは、亡き恩師である若松啓子先生からでした。啓子先生は、「私は音楽に没頭できない人間。身も心も捧げられない、捧げられなかった。なぜなら音楽に没頭するということがどういうことかを見たことがあるからわかるの!」と言っていました。その話の中で登場したのが、アントニオ・メネセスだったのです。

啓子先生がシュトゥットガルト音楽演劇大学でピアノ教授をしていた時に、同じ大学で教鞭を取っていたイタリア人チェロ奏者アントニオ・ヤニーグロの指導を受けるために、ブラジルから渡欧してきた当時10代のメネセスと知り合ったそうです。ヤニーグロが「ブラジルからシュトゥットガルトに来た彼に力を貸してあげて」と頼んだことで、啓子先生はメネセスがいつでも自宅で練習できるように家を開放したり、また、当時シュトゥットガルトに留学していた啓子先生の妹、淳子先生もメネセスの練習伴奏に付き合ったり、コンクールの伴奏を務めたりと、若いメネセスを本当に応援していました。
メネセスは食事も忘れて練習に没頭していたため、啓子先生が食事をするように強要したこともしばしばあったとか。
でも、やっとご飯を食べ始めたと思ったら、彼の左指はずっと動いていて、音楽に没頭する10代のメネセスに圧倒されたそうです。

そんな素晴らしい話を聞いていた私が、イタリアに在住するようになり、メネセスの演奏会とマスタークラスを実現できないかと考えはじめ、ネット検索で彼が務めていた大学の職員メールを見つけ、ダメ元でメールを送り、返事もなく、諦めかけていたところに彼から返信が!

“I’m very sorry I had not answered you yet. So many things to do and I was already forgetting to do so. You will not believe it, but I had a dream last night with both Keiko and Junko, which when I woke up made me remember to answer you.”

こうして、これまでお互いの存在さえ知らなかった私と彼の時間が繋がり、彼が毎夏指導をしていたキジャーナに会いに行ったのが約10年前のことです。
 
残念ながら、私は彼の演奏会とマスタークラスを実現することはできませんでしたが、日本をはじめ世界中で行ったマスタークラスで、多くの学生や音楽家が彼の人間性や音楽に触れることができたのは、本当に幸せなことだったと思います。

日本に戻ってきた啓子先生は、自身が知っている素晴らしい音楽家を大学に招待しようとしましたが、「うちの生徒がレベルに合わない」と言われ、「何を言ってるのよ!だからこそ必要なのよ!」と会議室で叫んだそうです(笑)
アントニオ・メネセスの悲しい訃報を受け、淳子先生からもメールをいただき、啓子先生、淳子先生、メネセス、人生、音楽、指導、人間性について様々な思いが巡っています。

啓子先生が38歳の時、ピアノを一から学び直そうと思ったきっかけとなり、淳子先生が最初のレッスンで「あなた、今まで一度もピアノを弾いたことがないわね」と笑いながら言われた彼女たちのピアノと人生の師匠は、イタリア人で高名なピアノ講師だったマリア・クルチオ。

そして私はなぜか、考えたこともなかったイタリアに留学することになり、今もなおイタリアで生きています。

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